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〇〇家の墓、苗字が違っても入れます。

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どうも、ひとり世界です。

まんが墓活というのが話題になっているようです。

墓の事って、普段あんまり考えないですよね。

 

◆ルールって何 

〇〇家の墓って書かれちゃうと、その家族以外入れてもらえないと思いますよね。

でもそんな事はないんです。

苗字が違っても入れるし、ルールなど無くお坊さんの考えひとつなんですよ。

 

私も父が容態が悪くなった時に何冊か本を読んで勉強しました。

とにかく葬儀やお墓に関する事は、分からない事だらけですよね。

結果分かった事は、決まったルールは無いですよという事です。

その土地で微妙にやり方が違ったりしますよね。

それこそが決まったルールがない事の証明なんです。

 

◆風習です 

例えば、その土地で人が亡くなった時に、この人は梅干しが好きだったからと枕元に梅干しを置いたら、それが勝手には広まったりします。

そうすると、人が亡くなったら枕元に梅干しを置くものだというルールが完成します。

これはあくまでも例ですが、大体こんな感じだそうです。

そう、風習なんですよ。

 

風習の怖いところは、人々が勝手にこうしなければいけないと思い込んでしまう事です。

現代ではネットの力も有り、この思い込みが解消されつつ有りますが、まだまだ解消されていない事も多いでしょう。

 

亡くなった人の枕元に、お団子を供えているのを見たことある方、いるんじゃないでしょうか。

これはお釈迦様が容態が悪くなり、食が細くなってしまったのを見た弟子が、お釈迦様の好きなお団子を側に置いた。

しかしそのままお釈迦様は亡くなってしまった。

この形が現代にも残っているらしいです。

お釈迦様の話なら、広まってもいいですが、前出の梅干しの話だったらガッカリですよね。

『なんだよ、梅干しに特別な意味があったわけじゃないのかよ』ってね。

 

◆死者を悼む、それが全て 

〇〇家の墓といえども、苗字が違う人がその墓に入ってもいいんですよ。

中には意地悪なお坊さんがいて、ダメだと言うことがあるかもしれません。

でもそれはお坊さんが間違ってます。

私はお坊さんではないですが、仏教というのは、死者に対してお線香をあげて手を合せ、只々死者を悼む。

それに尽きると思います。

 

ちょっと前にヒットした『千の風になって』という歌にありましたよね、

お墓の前で泣いても、そこに私はいないってやつです。

お墓というのは遺骨を置いてあるだけで、そこに魂が宿っているわけではない。

そこには誰もいないので、家族がOKなら誰の遺骨を墓に入れてもいいんですよ。

大事なのは、そういう事ではないです。

 

◆まとめ 

とにかくお寺、仏事は不明な事が多すぎます。

もっとお寺のほうから、いろんな事をオープンにして行ったほうがいいと思います。

そうじゃないと、どんどん檀家の人数が減って行って、お寺が消滅してしまいますよ。

 

それではまた。